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東京支部紹介

①活動主旨

(社)韓国将棋(チャンギ)協会 東京支部は、日本国内でのチャンギの普及を最も大切な活動目的としています。

日本国内に居住する日本人はもちろん、老若男女、様々な地域の、様々な国籍の、様々な立場の人々とも、分け隔てなく、自然に同じ立場になることができる、チャンギを道具にした人との出会いに、喜びと重要性を見出し活動しています。

毎月第3土曜日にJR中央線阿佐ヶ谷駅近くの阿佐谷地域区民センターで例会を開催しています。
ご都合がよろしければ、どなたでもお気軽に私たちとチャンギを楽しむことができますので、ぜひ遊びにいらして下さい。
2005/5月より、以前から時折遊びにいらしていた、寺尾さんから、日本将棋の盤・駒を各2セット寄贈して頂きましたので、日本将棋の普及活動もできるようになりました。寺尾さんは、非営利NPO団体である 『将棋を世界に広める会(ISPS)』の理事を務めていらっしゃる方で、もう長い付き合いになります。

例会会場の案内などは、トップページにあります。

また、例会に来にくい遠方の方には、カカオチャンギの無料ネット対局など、このサイトを充分に活用してお楽しみ下さい。いつか、ご縁があれば、チャンギを通してお会いできる日もきっと来ることでしょう。

今までもそうでしたが、時折、日本国内各地域のチャンギの友との再会に出向いたり、韓国などにも旅行に行っています。

本部はソウルにあるプロ組織(チャンギが桁違いに物凄く強いという意味で、「プロ」に間違いないが、収入面でも完全な「プロ」の状態になるように、本部では様々な努力を続けている)で、プロ登録者のいない東京支部では日本国内における、アマ初段~4段の認定・免状発行の権限を委任されています。

今後は、日本に居住する韓国をはじめとした諸外国人の人々ともチャンギを楽しみ、
今まで以上に国際的な親睦が活発になるようと、希望しています。

 

 



②沿革およびチャンギを通した人々との出会い

1989~1990年
宋 正彬が、当時ソウル鐘路5街にあった(社)韓国将棋(チャンギ)協会本部を初訪問。
故 李 一勲 9段(当時、理事長)、金 応述 8段(当時、常務理事)と、日本でのチャンギ普及の意義深さについて語り合う。また、協会本部を訪問され、「将棋の来た道」を著した(社)日本将棋連盟 大内延介 九段(当時、専務理事)への感謝牌を贈呈することになり、5月14日、宋が(社)日本将棋連盟を訪問、大内延介先生に渡す。(『将棋世界 1990年7月号 p 210』)
当時、韓国のスポーツ新聞に連載されていた、金 応述先生著「チャンイヤ・モンイヤ」の中の3話を、宋が日本語翻訳した。
「コリアンチャンギクラブ」発足
メンバーは、金 重明(現 作家)、金 正徳(現 カナダ在住)、宋 正彬(現支部長、アマ4段)の3名。南雲さん(アマ3段)もこの頃からの付き合い。たまに、皆で集まりチャンギを楽しんだ。
重明さんとは「将棋の来た道」、南雲さんとは「将棋世界」の読者であったことが、出会いのきっかけで、正徳さんとの最初の出会いがハッキリしないんですが、南雲さんと連珠の知り合いだったことから、紹介されたのが最初だったようです。
南雲さんの紹介で、草場さんとも出会い、彼が毎週土曜日にやっている、「なかよしゲーム村」にも、この頃1度参加し、チャンギを紹介した。

1994.9.10および9.17
東京世田谷区烏山区民センターにて、区民講座として「チャンギ入門講座」を実施。講座参加者計35名。チャンギの集まりとして、公の場に出るのは初。岡野 伸(アマ3段)・太田さとし(支部顧問、アマ3段)・宋との出会いがきっかけ。
「チャンギ協会」として結成、活動開始。

1994.10月以降
太田さんのご尽力で、盤・駒の管理と部屋利用予約を毎月申し込み、烏山区民センターの1室を借りて、毎月1度「チャンギの集い」を行い、例会となって行った。

南雲さんの貢献で、毎月の例会参加者の対局結果を元にした、レイティング表を作成してくれるようになり、皆の成績も記録されて行った。(現在まで、ずっと続いている)レイティング表は、各自の成績へのこだわりもあろうが、その月ごとの楽しいチャンギ対局の思い出的記録という性格も強く、むしろ、たくさん参加して、たくさん対局している人の方が、たくさん負けていても立派かな?(笑)

葛西さん、佐藤善起さん(アマ初段)・酒井清隆さん(アマ4段、現東京支部最高
手)・小俣光夫さん(アマ2段)・岐阜からわざわざの、宮本慎一さん(アマ3段)・大阪からわざわざの、鎌谷輝裕さん(初段)・石坂おさむさん(アマ初段=大工さんで、手作りチャンギ盤を何枚か寄付してくれた)・榎本真之さん(アマ2段)・宋 潤奎さん(アマ3段)・(社)日本将棋連盟 所司和晴先生(六段)など、多くの方が遊びにいらした。

この頃は、チャンギを通した出会いが、急増した頃だった。
湯川博士さん・恵子さん(お二人ともライター)ご夫妻、また、湯川さんのご紹介で、「将棋を世界に広める会」(ISPS)の眞田尚裕 理事長、チェスのジャック・ピノーさん(日本チャンピオン)とも、この頃に初めて出会っている。湯川ご夫妻は私たちのことを思いやり、良く取材されて、週刊将棋や、各種雑誌に多くのチャンギに纏わる記事を出して下さった。

1994.6
ソウル本部、「(社)韓国民俗将棋(チャンギ)協会」に名称変更。
チェ サジョン 理事長が、就任される。

1994.12
チャンギ協会主催チャンギ大会に、(社)韓国民俗将棋(チャンギ)協会より、金 商奎 9段 副理事長(当時。現ロサンゼルス支部長)と故 兪 昶植 8段 事務局長(当時。後に、9段に昇段された)を烏山区民センターに迎える。

1995年
チャンギ協会通信「最善手を指そう!」シリーズ発行。
この通信発行は、手作りコピーであったが、岡野さん、太田さんの貢献が大きかった。
その後、1998.5.30までに、第11号までを発行。
正式会員数22名に。

1996.2.7
第1回チャンギ大会(烏山区民センターにて)
チャンギ大会の優勝者は、南雲さんが1回、あとは、第6回の文山さん以外は、全部酒井さん。酒井さん、強すぎ!
チャンギ大会は、だいたい10~20名ぐらいの参加で、九州の岡村さん、など、遠方からの参加者も目立った。

1996.3.29
東京支部として正式に設立。トップページの看板、支部長任命書を、チェ サジョン理事長より、直接宋が受け取る。
同時に、今後日本国内にチャンギを更に普及すべく、名前の欄のみが白紙の正式アマ免状を預り、日本国内でのアマ初段~3段(その後、4段までになった)の棋力認定と免状授与の権限を委任される。

この日は、JTホールにて韓日文化交流フォーラム『韓国将棋の世界』が開催された。ソウル本部からチェ サジョン 理事長をはじめ、多くのプロの先生方が来日され、金 敬中 2段(当時。現在は9段で、「チャンギ王」他、タイトル保持者)と宋 鐘鎰 名人(当時、9段)との模範対局が行われた。
妙手クイズNo.1の問題は、この時、舞台上で紹介された問題。

今だから言うけど…大盤解説(大内先生と、故 李 一勲先生の大盤解説で、宋は通訳)において、解説者用のモニター画面と大盤とが、鏡で映したようにひっくり返っていた為、超満員の客席の方々にまともな解説とその通訳ができず、主催者JTの不手際には、困りに、困った…。しかし、太田さんと酒井さんが壇上に助っ人に上って来てくれた時には、本当に心強かった。

1997.3.2
第2回チャンギ大会(烏山区民センターにて)
この頃、湯川さんからのお誘いもあり、(社)日本将棋連盟主催の国際将棋部の集いに佐藤、酒井、岡野、宋、などが何度か出席。所司和晴先生に歓迎される。
宋は、羽生善治先生(当時7冠)からもチャンギを教えてほしいと言われ、喜んでお教えしたのは、良き思い出。シャンチーの趙 国栄先生(特級大師)や、チェスのジャック・ピノーさんも、一緒で、皆さん、雲の上の方々ばかり…。

1997.6
ソウル協会本部訪問。
参加者:宋、太田さん、南雲さん、小俣さん、酒井さん、宮本さん、岡野さんこの後も、数人規模で何度か本部を訪問している。

『簡単・爽快 詰チャンギ集』も、手作りのコピーだが、この時期に発行している。
この編集は宋が中心に作成したが、初版発行までには、酒井さんの問題チェック、岡野さんの協力が特に大きかった。また、苦しいコピー取りと纏めは、本当に大変だったが、3人で何とかやり遂げた。
また、改訂版などの発行の際には、太田さんの犠牲的協力の下で、宋と二人でコピー取りから、纏めまでをこなした。

随分時が経ってしまったが、、やっとこのホームページを活用することで、皆の作品を公開できるようになったので、あの時の努力が今になって報われていく。
当時受け付けた皆の作品を、宋が1つずつもう一度見直しながら、誤植や問題・正解などに間違いなどを発見したら、必要に応じて手直ししながら、アップしている。

1998.3.29
第3回チャンギ大会(烏山区民センターにて)

1998.4.4~
毎月の定例会会場を、コスモに移す。
同時に、この時創設された「盤友引力」の1グループとして加入。
この際に、初めて会ったのが塩瀬哲雄さん(初段)。その後、弟の学さん(初段)も参加。
「妙手クイズ No.2」出題者(お父様に教わった問題)のチョ ヒョシックさんは、この頃、たまにコスモに遊びに来ていた人で、お仕事で日本に滞在中だった。
例会はその後、毎月第二土曜日13:00~となり、現在に至る。

1999年~2002年頃
大阪・京都との交流深まる。

大阪の桃谷公園に毎日集まる、在日のチャンギ大好きハラボジたちとチャンギ親睦。今も、仲良し。
文山武範さん、故 金富さん(コスモにもよくいらした。大きな手作りの盤・駒を寄付して下さった。私たちの宝物である)、などは東京にもいらした。
後に、故 金富さんの紹介で、宋 昌植さん(お仕事で、日本滞在)も良くコスモに遊びに来たが、現在は消息不明。

協会本部の故 兪 昶植9段には桃谷を案内し、指導対局をなさった。
大阪だけでなく、京都、東京の各所もご案内した。
今思うと、もっと、いろいろしてあげたかった。

京都では、岡野さんの情報がきっかけで『ウリチャンギ大会』のことを知り、東京支部会員数名と近藤さん(コスモの、ママさん)などが大会に1~3回参加。新たな出会いに親睦を深める。小俣さん、太田さん、酒井さん、岡野さん、など、それぞれ、優勝・準優勝し、交流・親睦とともに、良い成績もおさめる。
『ウリチャンギ大会』は、毎年1~2回は行われていて、私たちを「良く来た」と、いつも歓迎して下さることには感謝している。
今後も、行ける人達が集まって参加して行く。

この頃には、小関謙治さん(初段)がコスモに来るようになっていて、大阪・京都
への旅にも一緒に行っている。

1999.4.3
第4回チャンギ大会(コスモにて)

1999.5.1
ソウル協会本部が統合。
チャンギプロ組織は、1つになった。

1999.10.25
旧名称から「民俗」の字が抜け、『社団法人 韓国将棋(チャンギ)協会』として登
録認可。
初代会長に、チェ サジョン先生(5段)が、就任される。

2000.5.6
第5回チャンギ大会(コスモにて)

2001.4.28
第6回チャンギ大会(MSO大会会場にて)
優勝 文山さん 準優勝 酒井さん 3位 宋

2002.5.14
協会本部、第2代会長に金 応述先生(9段)が、就任される。
また、朴 光燮副会長様は日本語も大変お上手で、日本に対する理解も深く、お仕事で良く日本に出張にもいらっしゃいます。

2003.11.1~3
日本将棋とチャンギとの交流の旅にソウルに出かける。
「将棋を世界に広める会(ISPS)=理事長 眞田さん」主催の「第一回 (韓国会場) チャンギ・しょうぎ交流の旅」。参加者22名。東京支部からは、太田さん、酒井さん、川口さん、宋 正彬、宋 容賛(よんちゃん)が参加。
宋は、準備・通訳・翻訳・案内などで協力。
特に、所司和晴先生の大盤による日本将棋の解説や、ご挨拶などは、丁寧で、礼儀正しく、謙虚で、奥ゆかしい、日本の鏡のようだったし、韓国の方々にも大変好感を持たれた。
また、韓国の方々からも心のこもった歓待を受け、心より感謝した。
交流・親善の集いは大成功。
両国の今後の発展に、期待と希望を持てた。

2004.1.14
日本に何度もいらしたことのある、兪 昶植先生が急逝される。
享年59歳。

2004.8
「第二回 (日本会場) しょうぎ・チャンギ交流会」
日本に、韓国からの「ふたつの将棋」の友を迎える。
韓国からは、しょうぎを覚えたての小学生2名と、引率の校長先生2名が来日。
日本側は、小学生5名が迎えた。
ISPSの方々など、大人たちは準備と交流会の進行に頑張った脇役でしたが、子供たちとともに、大人同士も親睦が深まり、良い集いでした。
今後も、東京支部からは積極的に協力していく予定。

2004.9.18~20
宋、太田さん、川口さんで、チャンギ旅行に。
念願だった、函館の長谷川洋一さんに出会う。
秋田で1泊後、新潟の金沢さんのところへ。
金沢さんは、日本将棋のみならず、シャンチー・チャンギなどの普及活動も、熱心な方。
塾の先生として、熊倉君という、前途有望な高校生にもチャンギを紹介してくれました。

2004.9.25
宋、ソウル協会本部に久しぶりに訪問。
金 徒慶 事務局長(6段)とは、メールや電話でのやり取りばかりだったので、じっくりお話しするのは、第1回 韓日 チャンギ・将棋 交流会 以来。
日本からのmgameへのnetからの登録障害の解決と、協会発行のチャンギ教本の内容をこのサイトで日本語翻訳して、公開することの許可などを得る。
短い時間ながら指導対局も受け、有意義で、大変ありがたかった。

2004.9.26
新宿、歌舞伎町のコスモ急遽閉店。
近藤ママさん、ご主人には大変お世話になりました。
早く、チャンギの盤・駒を引き取らないと…すみません。

2004.10.19~20
第17期 日本将棋 竜王戦  森内竜王 対 渡辺六段 7番勝負の第一局が、ソウルの新羅ホテルで行われた。
勝負の方は、89手で挑戦者の渡辺明六段の快勝でしたが、まだまだ、7番勝負は始まったばかり。
それより、ソウルで初めてこのようなビッグタイトル戦の第一局が、遂に、実現したことは本当に記念すべきこと。
その後、大熱戦の末4勝3敗で渡辺 明 新竜王 誕生となりました。
私(宋)は、光栄にも所司先生から竜王就位式に招待され、日本将棋界の蒼蒼たる人々にご挨拶したり、談笑したりしました。

次はぜひ東京で、チャンギプロのビッグタイトル戦の第一局を行ってほしいと、希望しています。


今後も…
韓国チャンギ・プルコギ・ショッピング・などなど ツアー。
また、身近でも、韓国から留学やお仕事などで訪日し、東京などで、毎日頑張っている
韓国の方とのチャンギ交流…

いつも例会のみに参加するというだけでなく、突然のように、「行こう、行こう」
となれば、積極的にどんどん外にも出かける私たちです。


最後の方は、詳細を省略しましたが、こうやって振り返ってみても、いろんなこと
がありました。

実名の出ていない方でも、私たちの集まりにいらして、チャンギを楽しまれた方
は多くいらっしゃいますが、南雲さん作成のレイティング表が頼りで、はっきりとし
た記録が不明の方もかなりいらっしゃいます。

抜けてしまったこともあるでしょうから、気がついたら、随時追記してまいります。
もし、間違いなど発見されましたら、ぜひお知らせくださると幸いです。

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